有馬温泉の旅館 元湯龍泉閣




有馬温泉では、1753年(宝暦3年)、1766年(明和3年)と続けて大火に見舞われたため、湯治客も年々減るばかりで街は寂れていきました。
そこで、町の旧家の人達が京都の近衛家を訪れ、有馬の湯に来る人を増やし賑やかな街にするため、有馬の優れたところを世に広めてもらうよう、お願いしました。
有馬の人達の写生をもとに高僧が絵を描き、それに近衛氏以下の公家が和歌や詩を添えて、1770年(明和7年)世に言う「有馬六景」が出来上がりました。このような努力の甲斐があって、有馬の街は再び元の賑やかさを取り戻したと言われています。

1)鼓ヶ滝
2)有明桜
3)功地山の秋の月
4)落葉山
5)温泉寺の晩鐘
6)有馬富士





【行基上人】
奈良時代に東大寺・大仏の勧進や灌漑・架橋などの社会事業で菩薩と呼ばれた僧で、有馬温泉を復興し、724年(神亀元年)に温泉寺・菩提院等を建立しました。行基上人は、このころの入浴が高貴な人のみの特権だったのに、湯浴みして身を清潔にすることを民衆に教えたと言われています。
[行基菩薩、もろもろの病人を助けんが為に有馬温泉に向かい給ふ(古今箸聞集)]

【仁西上人】
平安時代末期、熊野権現より夢で温泉再興のお告げを受けた吉野山の僧で、洪水(1097年)で荒廃した有馬温泉を再興。1191年(建久2年)に、平家の落武者十二名を連れ、薬師如来を守護する十二神にちなんで十二坊舎を建てて、その管理をさせました。

【豊臣秀吉】
安土桃山時代、有馬温泉は戦火や1575年(天正3年)の大火で荒廃しましたが、有馬の再興のため、手厚い保護と援助を行いました。洪水の多い六甲川を付け替えるという大工事で有馬を洪水から守るとともに、泉源の保護工事を行ったり、十二坊を二十坊に増やしたりしました。秀吉は手足の痛みを治療するため、歴史的な文献によると12回(そのうち、確認されているだけで9回)も有馬に入湯し、年に1〜2回、1回当り7〜20日間滞在しました。1590年(天正18年)、温泉寺 阿弥陀堂(現在の利休荘)にて、千利休、小早川隆景、有馬法印などと大茶会を開きました。



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