貸切露天家族風呂 神戸有馬温泉の旅館 元湯龍泉閣

太閤秀吉と願の湯
天正十七年(1589年)に太閤秀吉が有馬を訪れた時のことです。清涼院から西南の方向にある高台に登り、杖でとんとんと地面をたたいて祈りました。「もし、この地に温泉が湧き出したら、海の彼方までわしの土地になるだろう。湯よ、湧き出せー!」

すると、足元から少しずつ湯が湧き出し、温泉場になりました。

人々はこの温泉を「上之湯」とか「願の湯(ねがいのゆ)」と呼びましたが、太閤様が亡くなると湯も湧き出なくなってしまいました。

温泉寺から念仏寺にあがる坂道は「願い坂」と名付けられています。



阿弥陀堂と古茶釜
ある時、太閤秀吉が天神山のそばの金湯山蘭若院阿弥陀堂という禅寺を訪ねた時のことです。

和尚さんは澄西和尚といいました。この和尚さんの頭は、とても大きく猪みたいな形をしていたので、太閤様は「妙な形の頭じゃな。そうじゃ、利休を呼べ!」と、千利休を呼び、和尚の頭の形をした茶釜を作るように命じました。

利休はこの釜を天下一与次郎に作らせて、「猪首釜」と名付けましたが、人々は寺の名から「猪首釜」のことを「阿弥陀堂(あみだどう)」と呼ぶようになりました。
これが茶の湯に用いられる「阿弥陀堂釜」の始まりです。

この阿弥陀堂釜は、糸桜で有名な善福寺に今も伝わっています。



こぶ坂
むかしむかし、ひとりの病人がいました。眼の上に大きなこぶが出来たので、有馬温泉に入り、薬師如来様にお祈りして治そうとしました。

はるばると、有馬まで来て温泉につかり治そうとしましたが、残念ながら病は治りませんでした。仕方なく、病人はすごすごと有馬を後にしました。ところが、有馬の東のはずれにある坂道にさしかかると、突然、熟した果物が木から落ちるように眼の上のこぶがポロリと取れました。

それを聞いた人々は、この坂を「こぶ坂」と呼ぶようになりました。

有馬温泉から瑞宝寺に通じるこの坂道は、今ではきれいに舗装されています。




[トップページ] [館内案内] [ご宿泊プラン情報] [ご予約] [スタッフ紹介]

[有馬ナビ] [お子様に優しい宿] [記念日のご宿泊] [龍泉閣日記]

[龍泉閣写真館] [売店] [有馬温泉の観光情報] [交通アクセス] [美人入浴法]

[有馬の昔話] [有馬温泉の風土と歴史] [リンク] [English] [貸切露天家族風呂]

[金泉元湯露天風呂] [室内温水プール] [有馬温泉のイベント]



貸切露天家族風呂
神戸有馬温泉の旅館 元湯龍泉閣

こうべありまおんせん   もとゆ りゅうせんかく
【 http://www.ryuusenkaku.jp/ 】

〒651-1401 兵庫県神戸市北区有馬町ウツギ谷1663
TEL:078-904-0901  FAX:078-903-0099
ご宿泊のお問い合わせはこちら:
ryuusen@skyblue.ocn.ne.jp