有馬温泉の旅館 元湯龍泉閣



大和飛鳥時代 舒明天皇  孝徳天皇  柿本人麻呂
奈良時代 行基
平安時代 和泉式部  藤原道長  白河法皇  後白河法皇
小野小町  在原業平  西行  仁西
鎌倉時代 藤原定家
室町時代 足利義満  足利義輝  蓮如
安土桃山時代 豊臣秀吉  豊臣秀次  北政所  千利休  小早川隆景
前田利家  織田信雄  柴田勝家  羽柴秀長
石田三成  今井宗久  蒲生氏郷  細川幽斉
黒田如水  顕如
江戸時代 黒田長政  徳川頼宣  徳川義直  林羅山  柳生宗矩
井原西鶴  近松門左衛門  貝原益軒  本居大平
歌川国貞  伊能忠敬  頼山陽
明治以降 福沢諭吉  土屋文明  井上馨  山形有朋
後藤象二郎  伊藤博文  幸田露伴  新渡戸稲造
西園寺公望  近衛文麿  竹久夢二  正宗白鳥
蒋介石  宗美齢  高浜虚子  富田砕花  窪田空穂
横光利一  斎藤茂吉  谷崎潤一郎  吉川英治
木下利玄  川田順  吉井勇  グレース・ケリー
司馬遼太郎  筒井康隆  田辺聖子





【日本三古泉】
万葉集、日本書紀、古事記など歴史上の文献に数多く登場するため、古くから有馬、道後(愛媛)、白浜/湯崎(和歌山)が「日本三古泉」と呼ばれています。

【日本三名泉】
江戸時代の著名な儒学者、林羅山(1583〜1657年)が詩文集第三の中で選んだところから、有馬、草津(群馬)、下呂(岐阜)が「日本三名泉」と呼ばれています。





【湯槽谷山(ゆぶねだにやま)】
行基上人が湯槽を作る木を谷から切り出したのが山の名の起りと言われています。(標高801メートル)



【灰形山(はいがたやま)】
千利休が茶会を催したとき、風炉の灰をこの山の形に似せて盛ったことから
名付けられたと言われています。(標高619メートル)



【落葉山】
有馬温泉中興の祖、仁西上人がこの山で白髪の老人の投げた木の葉を追って
有馬温泉を発見したと伝えられています。(標高533メートル)



[有馬温泉 龍泉閣トップページ] [館内案内] [プラン情報] [ご予約] [スタッフ紹介]

[有馬ナビ] [お子様に優しい宿] [記念日のご宿泊] [龍泉閣日記] [龍泉閣写真館]

[売店] [リンク] [有馬温泉の観光情報] [交通アクセス] [美人入浴法] [有馬の昔話]

[有馬温泉の風土と歴史] [貸切露天家族風呂] [金泉元湯露天風呂] [室内プール]

[有馬温泉のイベント] [English]



貸切露天家族風呂
神戸有馬温泉の旅館 元湯龍泉閣

こうべありまおんせん   もとゆ りゅうせんかく
【 http://www.ryuusenkaku.jp/ 】

〒651-1401 兵庫県神戸市北区有馬町ウツギ谷1663
TEL:078-904-0901  FAX:078-903-0099