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We publish a monthly newsletter, “Arima Navi”, on our web site, which features hot topics for sightseeing in the Kobe, Mt. Rokko, and the Arima Onsen, the hot springs resort area. In this issue, we will introduce the “Kobe Shichifukujin”, or “The Seven Lucky Gods in Kobe”.
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Ryuusenkaku
ryuusen@skyblue.ocn.ne.jp



神戸七福神巡り 長田神社
(恵比寿天)
恵比寿天 赤えいの絵馬 追儺(ついな)式 長田神社とニワトリ
夜泣き石 生田神社
(弁財天)
弁財天 生田の森
生田の池
箙(えびら)の梅 敦盛の萩
生田神社と松の話 摂津の酒造発祥地 須磨寺
(福禄寿)
福禄寿
(ふくろくじゅ)
青葉の笛 五鈷水と弘法岩
源平の庭 義経腰掛松と
敦盛首洗池
敦盛の首塚と
胴塚
神功皇后釣竿竹 七夕ひょうたんまつり 浴衣でコンサート



江戸時代には、“元旦から七草の日までに七福神を巡ると、七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かる”と言われ、正月行事として流行りました。また、その頃から、七福神が揃って乗り込み、金銀財宝を満載した宝船の木版画が登場しました。この宝船絵には、『永き世の遠の眠りの皆目ざめ、波乗り船の音の良きかな』という回文(上下どちらから読んでも全く同じ文)が記されていました。正月2日の夜、枕の下に敷いて眠ると、吉夢(縁起のいい夢)が見られると伝えられ、商売繁盛を願う店先に貼られるなど、縁起物として扱われるようになりました。
現在でも、日本各地に「七福神巡り」が見られます。有馬温泉から車で30〜40分程度の所に、「七福神巡り」の神社や寺があります。湊川神社・長田神社・生田神社・大龍寺・念佛寺・天上寺・須磨寺を総称して「神戸七福神」と呼びますが、いずれも参拝客の多い人気スポットになっています。今回は、長田神社(恵比寿)、生田神社(弁財天)、須磨寺(福禄寿)にご案内いたします。


“Kobe Shichifukujin”, or “The Seven Lucky Gods in Kobe”

The Seven Gods are supposed to bring fortune and good health and were made up among fishermen and farmers in the 14th to 15th century. They became the object of popular veneration in the 17th century.
The group, which includes Buddhist, Taoist, and Shintoist divinities, symbolizes the seven essential virtues: longevity, chance, popularity, frankness, magnanimity, dignity, and kindness.
During New Year's Day celebrations, many Japanese make a pilgrimage to the temples and shrines dedicated to one of the members of the Shichifukujin to secure prosperity and good health for the new year. This pilgrimage is called Shichifukujin-meguri, and can be found in many places in Japan. In Kobe City we have the “Kobe Shichifukujin-meguri”, as follows:


Name of god Place Remarks
Ebisu Nagata Jinja (Shrine) A Japanese god of fishermen, farmers, and prosperity
Hotei Tenjoji Temple, Mt. Maya A Taoist god of satisfaction and trade
Fukurokuju Sumadera Temple A Taoist god of richness, longevity, and wisdom
Jurojin Nenbutsuji Temple, Arima A Taoist god of prosperity and longevity
Daikokuten Dairyuji Temple, Mt. Futatabi Originally a Hindu god named Mahakala, or a protective god against evil, this god was introduced to Japan via China as the god of wealth or fortune, and of kitchens
Bishamonten Minatogawa Jinja Originally the Hindu god Vaisravana, the protector of Buddhist laws, and also a god of prosperity and war
Benzaiten kuta Jinja Originally the Hindu goddess Sarasvati, the goddess of arts and music, introduced to Japan as the goddess of longevity, eloquence, wisdom, and military victory




長田神社は、西暦201年の春、神功皇后が新羅より帰還する途中、武庫の水門において、神のお告げを受けて、長田国の中央を流れる苅藻川の中州に祀られた全国有数の大社です。
大国主命の子の事代主命(ことしろぬしのみこと)が祭神として祀られています。平安時代中期の律令制度の下では、“神戸(かんべ)41戸”をもって護持されていました。神戸(こうべ)の地名は、この神戸(かんべ)に由来すると伝えられています。

1661年に再建された社殿は、1924年の火災で消失しましたが、4年後の1928年に朱色の社殿として再建され、第二次大戦の空襲による被害も免れています。事代主命は、釣が大好きで、別名を恵比寿(えびす)と呼ばれる招福の神様です。長田神社は、神戸市民に“長田さん”と呼ばれており、神戸七福神の一つ「恵比寿神」、商売繁盛の神様として親しまれています。

神戸市長田区長田町3丁目1-1 TEL:078-691-0333


長田神社石碑 長田神社参道 長田神社社殿 長田神社社殿

長田神社前商店街 長田神社神門 長田神社出雲大社 長田神社楠鷹神社




七福神の中で唯一の日本の神様です。「戎」・「夷」・「蛭子」とも表記されます。イザナギ、イザナミの間に生まれた蛭子尊(ひるこのみこと)であると言われます。3歳になっても歩けなかったため、葦の舟に乗せて捨てられ、やがて漂着した摂津国西宮の浦の住民によって祀られたと伝えられています。

左手に鯛を抱え、右手に釣竿を持った親しみ深い姿で、“エビス顔”と言われるような満面の笑顔を湛えています。 元は、漁師の神ですが、中世には航海の守護神としての信仰も起こり、さらには、市場の守護神、商売繁盛、交易の神様として今も信仰を集めています。また、一説には、大国主命の子の事代主命(ことしろぬしのみこと)とか、山幸彦(やまさちひこ)とも言われます。西宮の戎神社は、元来、広田神社の末社でしたが、商業の発展とともに、大坂・堺を中心とする庶民の信仰を集めるようになりました。



境内にある末社7社の中で一番奥にある、他の末社よりも大きめの楠宮稲荷社は、“赤えいの絵馬”で全国的に有名です。
その昔、おいしくて貴重な赤えいを食べるのを断ち、願掛けをすると、痔に効いたという言い伝えから、赤えいの絵馬を奉納すると、痔病が治るという信仰があります。
楠宮稲荷社裏にそびえる楠は、幹回り約5m、樹高約30m、樹齢推定800年の巨木で、古来、ご神木として崇敬されています。





毎年2月の節分に長田神社で行われる追儺(ついな)式は、その年に人々に降りかかる災いを鬼がすべて祓うという厄除けの神事です。7人の鬼が松明(たいまつ)を振りかざし、神のお使いとして、災厄を焼きつくし祓う踊りをします。その起源は、室町時代まで遡ると言われ、よく古式豊かな様式を今に伝えている所から、1970年、鬼面7面とともに県の重要無形民俗資料に指定されました。



事代主神が「鶏の声聞える里は、吾が有縁の地なり」と仰せられたという言い伝えから、古来、氏子は、ニワトリを神の使いとして大切にし、戦前まで多数のニワトリが境内に放たれていたため、“ニワトリのお宮”として、また、外国人からも“チキン・テンプル”として親しまれていました。



長田から苅藻川をさかのぼって行きますと、白川に通じる長坂越えと呼ばれる山道がありますが、この道端に富士山のような形をした石がありました。長田の村人は、長田神社の庭石にしようと考え、その石を運びおろし、神社に納めました。

長田神社の神主は、見事な石だと気に入って、平野の自宅に持ち帰りました。夜も更けた頃、神主の家では、どこからともなく、すすり泣くような声がしました。“シクシク、長田へ帰りたい。シクシク、長田へ・・・”と聞こえます。調べてみると、庭に置いた富士山の形の石から聞こえ、しかも石の表面がじっとりと濡れていました。驚いた神主は、翌朝、その石を再び神社に運び込み、境内に安置しました。



生田神社は、JR・阪急「三宮駅」の直ぐ北側の繁華街の真ん中にあります。神功皇后が新羅への遠征の帰途に神戸で船が進まなくなったため、神占を行って、この地に天照大神の幼名とも言われる稚日女命(わかひるめのみこと)を祀ったという由緒ある神社で、平安時代には、“神戸(かんべ)44戸”をもって護持されていました。
長田神社、西宮の広田神社、大阪の住吉大社とともに、1800年もの長い歴史があります。 境内にある大海神社は地主神で、全国の海運関係者の信仰を集めています。また、必勝祈願のご利益があるとされ、プロ野球やJリーグなどの選手が参拝に訪れます。
神戸七福神の一つである弁財天もここに祀られています。境内には、梶原景季の「梅箙(うめえびら)」の碑や、謡曲「生田敦盛」の碑などがあり、神社の奥には源平合戦の古戦場と伝えられる「生田の森」があります。

神戸市中央区下山手通1丁目2-1  TLE:078-321-3851


生田神社石碑 生田神社本殿 生田神社楼門 生田神社参道

生田神社大鳥居 大海神社 大海神社 生田の森




七福神の中で唯一の女神で、元来は古代ヒンズー教の川の神でした。3大主神の1つブラフマン神(梵天)の娘にして妻であるサラスヴァティです。サラスは水を、ヴァティは持つもの(富むもの)を意味します。やがて、音楽や詩の神となり、日本に伝わった当初は、“弁才天”と呼ばれました。
その後、財宝・芸術に関係の深い吉祥天の性格が吸収されて、“弁財天”、“弁天様”と言われるようになり、今では、知恵、財宝、愛嬌、縁結びの徳があると言われています。
インドでの姿は、蓮の葉の上で白鳥か孔雀を従え、弦楽器のヴィーナを持っています。穢れを払い、富貴・名誉・福寿・勇気・愛嬌・縁結びの徳、それに子孫を恵む神であるとともに、学問と音楽などの技芸の神、雄弁と知恵の保護神でもあるという非常に有り難い神様として信仰されてきました。鎌倉時代になると、ヴィーナに似た形の琵琶を弾く美貌の女神像が一般的になりました。
今でも、水辺近くに祀られていることが多く、全国各地に「弁天島」が数多く見られます。なお、日本には白鳥や孔雀がいないためか、弁天様のお使いは、白蛇となっています。



源平合戦の古戦場として有名な「生田の森」は、現在では、すっかり狭くなっていますが、樹齢300年の巨木があり、往時の雰囲気が残っています。「一ノ谷の戦い」では、この付近が長大な陣地の大手口に当たり、平家の軍事面の統率者である平知盛が守備していました。
「枕草子」の中で、“杜(もり)は、布留の杜、生田の杜、旅の杜”と述べられていますが、これは、生田の森や生田の浦が古来数多くの和歌に詠まれ、有名であったためと思われます。平安の昔から多くの歌に詠まれている神なびの森で、月や花の名所として高名でした。

・月残る生田の森に秋ふけて夜寒の衣夜半にうつなり      後鳥羽院
・秋かぜに又こそとはめ津の国の生田の森の春のあけぼの    順徳院
・汐なれし生田の森の桜花春の千鳥の鳴きてかよへる      上田秋成
・津の国の秋は生田の池水に森の梢のかげを見る哉       家衡
・あはれなり生田の池のあやめ草いかなる人の根かかよひけむ  為家



源平合戦の時、頼朝配下の梶原景季が境内に咲いている梅の一枝を折って、箙(えびら:矢を入れて背中に背負うケース)に挿して奮戦したというエピソードから、こう呼ばれています。『箙』という謡曲にも謡われ、平家物語・源平盛衰記などにも記されている所から、昔から梅の名所とされています。



悲劇の武将、平敦盛は、深く萩の花を愛したとされています。その死後、敦盛の遺児が父の消息を知りたくて、京都から神戸までやって来て生田神社に参詣した折に、玉垣に亡き父が現れるという情景を謡った『生田敦盛』という謡曲があります。



当初、生田神社は、布引滝付近の砂山(いさごやま)に祀られていて、海上からの目印にもなっていましたが、799年の大洪水で砂山の麓が崩壊したため、ご神体を背負って、現在地に逃れたと伝えられています。
元の社殿が倒壊した松の木によって潰されたという故事から、松を嫌ったため、生田神社の境内には松は1本もなく、ほとんどが楠です。正月には門松の代わりに“杉盛り”を楼門に立てます。



生田神社は、摂津における酒造の発祥地とされています。
新羅の朝貢使などに供する神酒は、生田・長田・広田の三神社、および、大和片岡神社から各50束を集めて、生田神社で神使が酒造りをして、船の寄港地である汝売崎(みねめざき)において、その神酒を饗応したと伝えられています。



山陽電車 須磨寺駅より駅前商店街を通り抜けると、北へ徒歩約5分で着きます。須磨寺は、正式には「上野山福祥寺」と呼ばれる真言宗須磨寺派の大本山で、886年の創建です。地元では古くから「須磨のお大師さん」として親しまれてきました。
現在の本堂は、1602年、片桐且元を奉行として、豊臣秀頼が再建したものです。ただし、本堂の奥にある「宮殿」は、1368年の建造で重要文化財です。ご本尊の聖観世音菩薩、毘沙門天、不動明王が祀られています。1972年、文化庁の指導で全面的な解体修理が行われ、600年前の創建時の姿に復原されました。境内には、源平ゆかりの史跡が数多く残っている他、与謝蕪村や正岡子規の句碑など、25種の句碑、歌碑、文学碑が並んでおり、碑文の一覧と句碑の場所を示す散策マップを無料配布しています。
神戸七福神の一つ福禄寿尊がここに祀られています。この福禄寿の頭を撫でるとボケ封じになり、体を撫でるとガン封じになると言われる有難い“撫で仏様”です。また、門前の北東角に地下水が湧き出ており、「須磨霊泉」と呼ばれています。

神戸市須磨区須磨寺町4丁目7-8  TEL:078-731-0416


須磨寺石碑 須磨寺参道 須磨寺句碑(正岡子規) 須磨寺句碑(与謝蕪村) 須磨寺須磨霊泉




名前自体が“幸福、身分・財産、長寿”を表わす誠にめでたい3文字からなるという、道教の長寿神です。南極老人星(竜骨座カノープス星)の化身とされる北宋の仙人です。
カノープス星は、北半球の緯度の高い地域では地上ぎりぎりに見える星で、古来、中国では、「この星を見ると寿命が延びる」と言われていました。長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶを持ち、年齢は千歳とか、千万歳とか言います。長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖を持っており、招徳人望の神様として信仰されています。



宝物殿館の中央のガラスケースの中の黄金製厨子(ずし)の中に納められています。笛は2本あり、1本は高麗笛で、もう1本が「青葉の笛」で、別名を「小枝(さえだ)の笛」と言います。須磨寺の言い伝えでは、弘法大師が唐へ留学した時に青葉の笛を作ったとされます。その笛から3本の小枝と葉が芽吹いたため、珍しいということで帰国後、嵯峨天皇に献上しました。平家物語によると、この笛は鳥羽の院より平忠盛に与えられ、その後、清盛の甥の敦盛が愛用していたのを源平合戦後、義経が須磨寺に納めたと伝えられています。



仁王門をくぐって直ぐ右側に、2000年春に新しく建てられた手水場があります。ここに手水場の建設を計画した際に、弘法大師の宝前でお祈りすると、きれいな清水が山中で湧き出すことが分かり、弘法大師に因んで「五鈷水(ごこすい)」と名付けられました。鈷というのは、元来、古代インドの武器で、仏様が手に握って煩悩を打ち砕く法具を言い、両端が五つに分かれているのが「五鈷」です。この手水場には、四国の石鎚山の麓で見つけられた、高さ2.7m、重さ13トンの大岩が置かれています。僧が座っている姿に似ており、弘法大師を偲ばせるという所から「弘法岩」と名付けられ、五鈷は胸のあたりに置かれています。



今から800年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭です。当時16歳の敦盛が一の谷の浜辺で、源氏の猛将直実に討たれたお話は、平家物語の中でも、特に哀れで美しいエピソードとして語り継がれています。庭前には、“笛の音に波もよりくる須磨の秋”という蕪村の句碑があります。庭の隅には、弁慶が“一枝を伐らば一指を剪るべし”という制札を立てたとされる、歌舞伎にも登場する「若木の桜」があります。



一ノ谷合戦の戦勝後、義経はこの松に腰を掛けて敦盛の首を実地検分したと伝えられ、「義経腰掛松」と呼ばれ、横にある池で、その首を洗ったと言われています。



この首塚(五輪塔)は、敦盛の菩堤を弔うために建立されたもので、かつて、この塚に笛を納めて子供の健康を祈る習慣があったと言います。なお、須磨浦公園にある敦盛塚は胴塚と呼ばれています。



西寄りにある「納骨堂」のさらに西側に竹の密生した場所があり、「神功皇后釣竿竹」と呼ばれています。神功皇后が新羅への遠征の帰途、占いをするため、佐賀県の松浦川で鮎釣りをしたと日本書紀に書かれていますが、その折の釣り竿をここに埋めたところ、竹が芽生えたと伝えられています。





第5回有馬七夕ひょうたんまつり

ひょうたんをさまざまな形に加工した、ユニークな作品ばかりを集めた展示会です。
展示期間 2005年7月7日(木)〜18日(月・祝)
開館時間 9:00 〜 18:00(最終日は、〜16:00まで)
展示場所 有馬の工房(神戸市北区有馬町1019)
078-903‐5554
神戸電鉄「有馬温泉駅」下車徒歩約8分
主催 ひょうたんまつり運営委員会
(社)有馬温泉観光協会
特別展 全日本愛瓢会(兵庫県支部・大阪支部)、淡後瓢箪同好会から選りすぐりの作品を募集し、展示します。(過去の受賞作品も展示)
品評会 開催日: 7月10日(日)11:00〜

審査対象: 小学校や北神地域などで栽培・加工されたひょうたんを対象に
       太閤賞、ねね賞、技能賞、学校賞など各賞の表彰を行います。

一般投票: 7月7日(木)〜10日(日)11時(予定)まで受付
イベント 開催日: 7月17日(日)〜18日(月・祝)

・六甲有馬ロープウェィ招待券、金の湯・銀の湯招待券などの抽選会
・ひょうたん加工教室
・ひょうたん楽器で遊ぼう
・ひょうたんの即売会




有馬温泉 浴衣でコンサート
オペラとお寺と有馬温泉 〜オペラとピアノのコラボレーション〜

星空の下、ライトアップされた念仏寺の夜景を眺め、浴衣姿のままで優雅な夏の夜のコンサートをお楽しみ頂けます。

日時 2005年7月23日(土) 
時間 開場20:00 演奏20:30〜22:00まで
場所 念仏寺
入場料 無料
主催 (社)有馬温泉観光協会 TEL 078-904-0708T
出演者:

田原祥一郎
(テノール)
大阪音楽大学教授、関西二期会名誉会員

第35回毎日音楽コンクール海外派遣特別審査会第1位松下賞、メラーノ国際コンクール優勝など数多くの国際コンクールに入賞、大阪文化祭賞、芦屋文化賞、兵庫県文化賞を受賞
出演者:

浅井康子
(ピアノ)
大阪音楽大学助教授

モーツァルト協奏曲の夕べに出演する他、大阪フィルハーモニー交響楽団と共演、ショパン、シューマン、ブラームス、ラフマニノフなどロマン派作品の演奏に本領
出演者:

荒田祐子
(メゾソプラノ)
関西歌劇団理事、日本シューベルト協会理事、大阪音楽大助教授、神戸女学院大学講師

ノヴァーラ国際声楽コンクール、カリアリ国際声楽コンクール第1位、大阪文化祭奨励賞、クリティッククラブ新人賞、神戸灘ライオンズクラブ賞、兵庫県芸術奨励賞、神戸市文化奨励賞を受賞




有馬ナビ文月号では、先月号に引き続き、神戸七福神をご紹介いたしました。創刊号以来、神戸・六甲・有馬の歴史的な観光スポット中心にご紹介してまいりましたが、次号からは、装いも新たに再スタートする予定です。是非ご期待下さい。(2005/6/30)

※このページは2005年7月に発行されたものです。
最新の有馬温泉と周辺観光地の情報は『龍泉閣日記』をご覧ください。



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注)営業時間や料金などの情報は、発行された時点のものです。
詳しい情報は各施設にお問い合わせください。リンク、もしくはTEL番号をご参照ください。