Welcome to “Ryuusenkaku”!
Ryuusenkaku is a traditional Japanese ryokan or inn, and it has its own source of natural hot springs. It is located on top of a hill where it overlooks the Arima Onsen, or hot springs resort area, surrounded by greenery. It is close to the town area of Kobe City and Mt. Rokko, and also convenient for sightseeing. Outdoor hot spring baths and an indoor swimming pool are available for your relaxation.

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We publish a monthly newsletter, “Arima Navi”, on our web site, which features hot topics for sightseeing in the Kobe, Mt. Rokko, and Arima Onsen area.
In this issue, we will introduce the “Nenbutsuji Temple”, one of the most famous sightseeing spots in Arima
The Management
Ryuusenkaku
ryuusen@skyblue.ocn.ne.jp



七福神 再度山大龍寺
(大黒天)
大黒天 毎日登山発祥の地
善助茶屋跡
猩々池
(しょうじょういけ)
多々部城跡
修法ケ原
(しおがはら)
念佛寺
(寿老人)
寿老人 沙羅の花の言われ 一弦琴
(いちげんきん)
有馬川の蛍



七福神とは、古代ヒンズー教を発祥とする仏教神である大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天(べんざいてん)、中国の道教からは、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)布袋尊(ほていそん)、そして、神道からは恵比寿天(えびすてん)、以上の神様の総称で、室町時代の末頃に農民や漁民の民間信仰として成立しました。
仁王経の“七難即滅、七福即生”という言葉が七福の語源とされます。
江戸時代には、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に敷いて初夢を見たり、床の間に飾ったりして、商売繁盛の縁起物として喜ばれるようになり、“元旦から七草の日までに七福神を巡る”というのが正月行事として流行りました。現在でも日本各地で「正月の七福神巡り」があり、七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。
湊川神社・長田神社・生田神社・大龍寺・念佛寺・天上寺・須磨寺の七つの神社仏閣を総称して「神戸七福神」と呼びます。今回は、大龍寺と念佛寺についてご紹介いたします。


再度山大龍寺(ふたたびさん・たいりゅうじ)は、三宮の直ぐ北側にある標高470mの再度山の南山麓にあります。
有馬温泉から車で約40分、再度山ドライブウェイを走ると、林の中に朱色の大龍寺山門があらわれます。

768年、和気清麻呂によって開かれた真言宗の寺院です。清麻呂公がこの山に登る途中、道鏡の刺客に襲われ九死に一生という際に、ご本尊が蛇身になって救われたことから、ここに御堂を建立し、龍に救われたとの由来から大龍寺と呼ばれるようになりました。その後、戦火による盛衰を繰り返したため、現存する寺は江戸時代の初めに再興されたものです。

弘法大師(空海)がこの寺で修行をしたという言い伝えがあり、奥ノ院には弘法大師木像が祀られています。再度山は、古くは摩尼山と呼ばれていました。804年、弘法大師が大輪田の泊(兵庫の港)から船出し、唐へ留学する際に、海路安全祈願のためお詣りし、無事に帰国後、再びこの山に登り、お礼参りされたことから、再度山と号するようになりました。ご本尊の如意輪観音と伝えられる菩薩立像は、天平時代(8世紀中頃)の一木彫の仏像で、1929年、国の重要文化財に指定された秘仏です。毎年7月20日(中風除大祈祷)に開帳され、安産や中風除けのご祈祷に霊験があると言われています。
山門前の駐車場に車を止め、山門を潜って参道を登っていくと「毎日登山発祥の地」である善助茶屋跡から二本松を経て諏訪山へ下る登山コースと合流し、新緑につつまれた長い山道を上ると本堂に着きます。寺の周辺は四季折々の豊かな自然に恵まれた所で、春には桜やツツジ、秋には紅葉などが楽しめます。本堂から88ヶ所霊場巡りコースを辿って奥の院へ向かうと、境内には、大師梵字岩や亀の石などがあり、大師の霊水も湧き出ています。さらに奥の院の脇から山道に入り、巨大な岩の横を通り抜け、さらに進むと、標高470mの再度山の山頂です。

大龍寺山門石碑 大龍寺山道 大龍寺山道 大龍寺奥の院石碑 大龍寺太師堂案内石碑

大龍寺山門 大龍寺山道 大龍寺 大龍寺鐘楼
大龍寺本堂 大龍寺本堂お参り 大龍寺お札 大龍寺像
大龍寺奥の院 大師の霊水 再度山巨大な岩 再度山山頂


古代インドでは、ヒンズー教のシヴァ神、つまり闇黒の神でしたが、仏教では戦闘神、大自在天の化身とされました。日本では「だいこく」が大国主命と混同され、神仏習合しました。元来、大地を掌握する農業の神様でもあり、米俵に乗り、大きな袋を背負い、打出の小槌を持ち、頭巾を被った姿がよく知られていて、蓄財・福徳・開運の神様として信仰されています。また、大国主命がスサノオノミコトによって野原で焼き殺されそうになった時にネズミが助けたという神話から、ネズミは大黒天のお使いと言われます。
大黒天が「神戸七福神」の一つとして大龍寺に祀られています。この寺の大黒様は、大黒天を真ん中に、向かって左に毘沙門天、右に弁財天という三つの顔を持つ“三面大黒”です。大黒天を信仰して裕福になると、泥棒の心配がありますが、毘沙門天がガードマン役で退治し、弁財天は琵琶を弾きながら歌を歌ってくれるという、至れり尽くせりのご利益が期待できます。


毎日登山は、明治時代に神戸在住の欧米人が早朝、山に登り清涼な空気を吸って、心身ともに爽快になるというのを見習って、神戸市民にも登山文化として広がってきたものです。
登山した外国人が善助茶屋にサイン帳を置いて、登るたびに署名しているのを真似て六甲山に登り始めたのが毎日登山へと発展してきたと言われます。

大龍寺境内の善助茶屋跡には、「毎日登山発祥の地」という石碑があります。
背後に六甲連山が屏風のように連なる神戸市街地の住民にとって毎日登山は、毎朝の習慣としてすっかり定着していますが、数多くの毎日登山コースの中でも、1910年に創立された神戸草鞋会(後の神戸徒歩会)によって再度山に最初のコース開設が行われました。



善助茶屋跡から二本松を経て諏訪山へ下るコースの途中に「猩々池(別名 鯛池)」と呼ばれる池があります。これは、麓の四つの村に水を送り、旱害を救うために、地元の庄屋たちによって完成された大きな溜め池でしたが、現在はほとんど埋っています。
池の一番奥の斜面に、説明板と石碑が建っていますが、この石碑には、次のように刻まれています。

『摂津の国、八部郡福原荘の4ヶ村は、いずれも土地が高く水が乏しいので、日照りの年には、いつも村人は苦労した。
1790年、花隈村の庄屋 村上五郎兵衛が貯水池を造ろうとしたが、意見が一致せず、役所の許可も得られなかった。1815年、二ツ茶屋村の庄屋 橋本藤左衛門は、村人の意見をまとめ、代官の許可を得て6月に着工し、翌年8月に水深約24m、南北約117m、東西約68mの池が完成した。花隈村の庄屋の建議以来26年が経っていた。
村人たちが池の完成を喜び、酒樽を用意して、池のほとりに代官を迎え、謡曲“猩々(しょうじょう)”の舞を披露したので、代官はこの池を猩々池と名付けた。』


この猩々池から再度山の山頂までが多々部城の中心であったと言われます。南北朝時代、北朝方の赤松則村(のりむら:入道の後、円心と称しました)が、丹生庄(北区山田)にいた南朝勢力に対抗するために大龍寺を修築して城郭にしました。この城は、東は滝山城、西は鍋蓋(なべぶた)山にまで及ぶ大規模な山城であったと推定されています。
建武年間(1334〜48)に兵乱で焼失しましたが、1351年、息子の赤松範資(のりすけ)によって再建されました。観応年間(1350〜)に赤松則実兄弟 が此処に拠って楠氏と応戦し、1362年、楠木正儀(まさのり)・和田正武らが滝山城と多々部城を攻めましたが、攻略できず河内に引き返しています。その後、1528年に滝山城とともに落城したものと思われます。

多々部城 多々部城跡猩々池 多々部城跡


大龍寺から再度山の山上を越え、北方に下ると、修法ケ原があります。ここは、大龍寺の僧侶が修法(しゅほう:正しい仏法を修めること)を行ったところなので、修法ヶ原と呼ばれるようになったと言われています。修法ケ原を中心に再度公園が広がり、園内の池にはボートが浮かび(水量が少ないと、休業)、散歩道や茶店などがあり、ハイカーや家族連れの遊覧客で賑わいます。また、この付近には、外人墓地や森林植物園などもあります。



念仏寺 念仏寺
念仏寺・雀石 念仏寺・蛤石
念佛寺は有馬温泉のほぼ中心にあります。
開基は岌誉上人で、1538年に創建されました。当初は谷之町にありましたが、17世紀初め現在地に移転しています。

ここは見晴らしの良い高台で、太閤秀吉の正室、北の政所(ねね)の別邸跡と言われる有馬の一等地でした。現存の本堂は有馬温泉で最も古い建造物で1712年の建立です。ご本尊は快慶作と伝えられる阿弥陀仏立像です。
また、法然上人画像「月輪御影(つきわのみえい)」も寺宝として所蔵されています。

念佛寺の美しい庭園には、樹齢250年と伝えられる沙羅双樹の大樹がある所から、「沙羅樹園」と呼ばれます。開花時期は6月中旬〜下旬で、念佛寺では、毎年この時期に「沙羅の花と一弦琴の鑑賞会」が開催されます。


道教の神で、福禄寿と同じ南極老人星(カノープス星)の化身です。にこやかな笑みを湛え、手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、玄鹿を従えています。
団扇は災難を払い、桃は長寿のシンボルで、1500年も生きたという鹿も同様です。酒好きのため、長頭で、いつも赤い顔をしています。

同じ道教の神である福禄寿とよく混同され、同一神がダブっていると考えて、代わりに猩々、吉祥天、福助のいずれかを加えるという説もありましたが、その後、寿老人が七福神の正規メンバーとして定着しました。

寿老人は長寿の神様で、道教の教祖である老子の化身とも言われ、蓄財・与宝・諸病平癒の神様でもあります。古来、有馬温泉の入浴客は、第一神霊泉とも言われた金泉の浴効によって病気を癒し、無病息災・不老不死を念ずる気持から寿老人を拝むようになりました。念佛寺には「神戸七福神」の一つとして、寿老人が祀られており、参詣人が絶えません。


有馬温泉の初夏の風物詩が「念佛寺の沙羅の花」です。毎年6月下旬に念佛寺で開催される「一絃琴の鑑賞会」は、心洗われる行事です。平家物語の冒頭の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」で知られる沙羅の木は、夏ツバキの別名で、6月中旬〜下旬が花の見頃です。朝咲いて夕方には散ってしまう所から、世の無常を象徴していると言われます。念佛寺の庭では、樹齢250年の沙羅の木を中央にして、二つの石が相対座しています。向かって右を「ハマグリ石」、左を「スズメ石」と呼び、中国のことわざ、「雀は海に入り、蛤となる」を表現したものと言われています。
突風にあおられた沙羅の花がポトリと、この石の上に落ち、転がった後、苔の上で静かに休むという情景は、正に静寂そのものです。沙羅双樹は、お釈迦さまが入定された時、いっせいに花開き、その死を悲しんだと言われ、仏教とゆかりの深い銘木です。ある書物には、「沙羅の花は一日だけの生命を悲しんでいるのではなく、与えられた一日だけの生命を精一杯咲き尽くしている」と記されています。



一絃琴は、一枚の板の上に一本の絃を張っただけの極めて簡単素朴な楽器で、板琴、一つ緒の琴と呼ばれることもあります。

一絃琴の歴史は、平安時代初期に、中納言、在原行平が勅勘を被って須磨の地に流された時、渚で拾った板切れに冠の緒を張って琴を作り、岸辺の葦の茎を爪にして、その琴を弾じながら、はるか都を偲び、自らの寂寥を慰めたのが始まりと伝えられています。このため、古くから「須磨琴」と呼び慣らわされてきました。


江戸時代に河内国の高僧、覚峰律師によって復興され、名人、真鍋豊平の活躍もあって、幕末から明治前半にかけては、高貴風雅な音楽として文人墨客の間に愛好されていました。
しかし、その後、西洋音楽の流行に圧されて衰微の一途をたどり、戦後は、一絃琴を演奏できる人がほとんどいないという状態になってしまいました。しかし、現在では須磨琴保存会の努力により、1976年には兵庫県重要無形文化財の指定を受けるまでになっています。


The Sal Flower Tree and the “Koto” Concert at Nenbutsuji Temple

Nenbutsuji Temple is thought to be the former site of the second house of Toyotomi Hideyoshi’s wife, Nene. Within it is the very beautiful “Sara-juen”, or “Sal Tree Garden”, which contains a 250-year-old Sal tree. Every year when the tree blooms in June, a concert is held where they play the “koto”, a kind of Japanese harp traditionally played while wearing a kimono. The 2005 “koto” concert is scheduled to be on June 19th and 20th.
Nenbutsuji’s principal image, the Amitabha Buddha, was carved by the famous sculptor Kaikei in the 13th century. Jurojin, the god of longevity, or one of Seven Lucky Gods, is also enshrined here.


  開場時間 開演時間
1回目 9:00 10:00
2回目 11:00 12:00
3回目 13:00 14:00
4回目 15:00 16:00
念佛寺の初夏の見所は、庭園に咲く樹齢250年の沙羅双樹の花です。
6月19・20日に開催される「沙羅の花と一絃琴の鑑賞会」では、最初に、本堂で抹茶と沙羅の花をイメージした茶菓子を召し上がっていただきます。次に、沙羅双樹の花を正面にして、ご住職の法話をお愉しみいただいた後、須磨琴保存会の先生方の一絃琴の演奏をお聴きいただきます。
癒しのひと時をお過ごしください。

■開催日時:2005年6月19日(日)、および20日(月)とも同じ時刻に各4回開演します。
(ただし、会場が寺院なので仏事行事が入った場合、中止になることがあります)
■場所: 念佛寺(神戸市北区有馬町1641)
■募集人数: 各会とも先着100名様まで
■参加料: お一人 1,500円
(抹茶、茶菓子、ご住職の法話、一絃琴の鑑賞、おみやげ付き)
■主催: (社)有馬温泉観光協会 青年部
■申し込み: 往復葉書に、代表者の氏名・住所・電話番号・参加人数・希望鑑賞会(第2希望まで)をご記入の上、有馬温泉観光総合案内所までご郵送ください。
■締め切り: 2005年6月10日(金)必着
〒651-1401 神戸市北区有馬町790-3 有馬温泉観光総合案内所
「沙羅の花と一絃琴の鑑賞会」宛て   TEL (078)904-0708



有馬小学校が「人に優しい有馬温泉・ホタル小学校」をめざして十数年が経ちます。
1991年より"有馬にホタルを呼び戻そう"と、神戸市環境局リサイクル推進課、地元自治会、有馬温泉観光協会と連携して、ホタルの飼育・放流活動を飼育栽培委員会中心に全校生徒で行っています。
今年も、6月初旬頃から有馬川で蛍の鑑賞をお楽しみいただけると思います。有馬温泉へお越しの際には、ぜひ、夜の蛍鑑賞へお出かけ下さい。



今回の有馬ナビでは、初夏の「神戸七福神巡り・中篇」として、歴史的な観光スポットをご紹介しました。今後とも、神戸〜有馬地区の各時代を代表する史跡をご紹介して参ります。どうぞ、ご期待下さい。(2005/5/30)

※このページは2005年6月に発行されたものです。
最新の有馬温泉と周辺観光地の情報は『龍泉閣日記』をご覧ください。



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注)営業時間や料金などの情報は、発行された時点のものです。
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