目にも鮮やかだった有馬の紅葉シーズンも終盤となり、有馬の街並みもすっかり師走の風情を漂わせています。今年最後の「有馬ナビ」師走号では、近代国家‘日本’の誕生に向けて、歴史的な役割を果たした勝海舟・坂本龍馬と神戸とのつながりについてご紹介します。
幕末の日本の舵取りに奔走した二人は、神戸港の近代化にも一役買っていました。
また、神戸市民に冬の訪れを告げる恒例行事の「神戸ルミナリエ」が12月9〜22日の2週間にわたって開催されます。阪神・淡路大震災の11ヵ月後に第1回神戸ルミナリエが開催されましたので、今回は、早くも第11回目の神戸ルミナリエとなります。光の彫刻作品、光のオブジェとしてその芸術性が毎年高く評価されています。2005年のテーマは、『光の第2章』です。師走のひと時、幕末の歴史探訪とルミナリエ観光で、ぜひ神戸〜有馬にお越し下さい。

以前、お知らせしましたように、英文版ホームページが既にスタートしています。これから、海外からのお客様や、日本に長期間在住されていても、和文版ホームページをご利用いただけないというお客様の便宜を図って英文での情報発信に努めて参ります。
新年も引き続き、ご愛読いただけるよう、スタッフ一同頑張りますので、宜しくお願いいたします。

                         龍泉閣スタッフ一同
Ryuusenkaku” web site in English We publish a monthly newsletter “Arima Navi” on our web site featuring hot topics for sightseeing in the Kobe, Mt. Rokko, and Arima Onsen area. In this issue, we will introduce “Kobe Luminarie” and Harbor Cruises.
The Management Ryuusenkaku
ryuusen@skyblue.ocn.ne.jp


 1863年、黒船の襲来以降、海岸防備の必要が高まっていた大坂湾沿岸に、将軍徳川家茂が海軍奉行並の勝海舟を伴い、視察にやって来ました。咸臨丸の艦長として渡米した海舟は、家茂に海軍の必要性を説き、船が上陸した神戸村の小野浜に海軍操練所の建設の許可を得ました。完成した海軍操練所は海軍兵学校・機関学校・造船所を備えた敷地約1.7万坪の大規模なもので、幕臣たちが学ぶ場でした。これに隣接して諸藩の青年を集めた「神戸海軍塾」(勝塾)が設けられ、その塾頭が坂本龍馬でした。1864年5月から反幕府派の藩も含め、全国から生徒を募集し約200人がここで学びました。
 しかし、一部の塾生が、同年7月に起きた「蛤御門(はまぐりごもん)の変」に反幕府派として参加、海舟は幕府の嫌疑を受け、1865年3月に海軍操練所は閉鎖されました。二人は、大坂に戻った後、海舟は江戸へ、竜馬は長崎へと別れ、再会することはありませんでした。わずか1年足らずでしたが、龍馬の他にも、伊藤祐享(後の海軍大将)、陸奥宗光(後の外務大臣)など、新時代を担う人々を輩出し、海軍の歴史にも大きな影響を与えました。その後、跡地は開港場となり、運上所(神戸税関)や外国人居留地が建設され、神戸は港とともに発展してきました。



京町筋を南へ下り、 国道2号線から京橋を渡ると、 新港第一突堤基部の緑地の北角に、神戸港築造のきっかけをつくった網屋吉兵衝(1785〜1869)の顕彰碑が建てられています。
彼は、丁稚奉公からたたき上げで、呉服商を営み、72才になってから、長年夢見ていた船たで場(現在のドック=船底についた貝殻や船虫などを焼いて船の修理をする所)の建設に着手しました。

私財を投じ、1855年に竣工しました。1863年、将軍家茂が兵庫港を巡視したときに、拝謁し、お褒めの言葉をいただきました。その後、負債返済のために「船たで場」の所有権は神戸村に移され、彼はその一支配人となりましたが、まもなく、海軍操練所の施設として活用されました。

京町筋を南に向かって歩き、レトロな旧居留地街を抜け、国道2号線を越えた辺りから東の神戸税関にかけて、17,130坪に及ぶ広大な海軍操練所がありました。国道2号線のメリケンパーク入り口に、みなと公園という小さな公園がありますが、ここに重さ10トンに及ぶ錨(いかり)を用いた「神戸海軍操練所跡碑」が建っています。

これは、神戸の開港、発展のさきがけとなった海軍操練所を記念して、1965年に神戸の財界や港湾関係者の方々が旧軍艦の錨を兵庫県に寄贈し建てられたものです。巨大な錨の横にある書籍を開いた形の石碑には操練所創設の由来が書かれており、神戸開港100周年の1968年に建立されました。ビル建設工事のため、1991年頃に一時的に撤去されていましたが、10年後の2001年末に復活し、再び一般に公開されるようになりました。

みなと公園から少し東に向かって歩くと、神戸海軍操練所記念碑、つまり「海軍営の碑」および、第4代兵庫県知事でもあった外務大臣、陸奥宗光の顕彰碑が並んで建っています。ただし、ここにある「海軍営の碑」は、諏訪山公園内の金星台に現存する実物の碑を模して1973年に建立されたレプリカです。
なお、神戸市立博物館に、葵の御紋の入った海軍操練所の屋根瓦が保存されており、「旧居留地」に戻る途中で見学できます。

夢かもめのハーバーランド前駅で下車し、北にしばらく歩くと、閑静な住宅街の中に勝海舟の寓居邸があります。現在でも住居として現存していいます。海舟は、海軍操練所の建築が終わるまでは、ここに仮住まいしており、龍馬も何度か訪れたと言われています。

海舟は海軍操練所内に碑を建てようとしましたが、志半ばで操練所は閉鎖となりました。完成していた「海軍営之碑」という高さ2mもある大きな碑は、友人であった神戸の豪商、生島四郎太夫に預けられ、海舟の意向から一時は生島の邸宅内に埋められていました。

この碑は、半世紀の後に、1915年に土中から掘り起こされ、神戸港が一望できる高台にある中央区の山手にある諏訪山公園内の金星台に現存しています。風雨にさらされ、読みにくくなっていますが、 海舟の直筆で書かれた碑文が見られます。
「金星台」の名前の由来
1874年12月、 太陽・金星・地球が一直線に並ぶ「金星の太陽面通遇」という現象をフランス人天文学者ジャンセン氏らがこの地で観測したことから「 金星台」と呼ばれるようになりました。また、 ここから10分ほど登ったところにある、 再度山ドライブウエイの「ビーナス・ブリッジ」という名前の由来にもなっています。

地下鉄海岸線「夢かもめ」の始発駅は、JR三宮駅南にある「三宮花時計前駅」です。駅の少し南にある東遊園地に行ってみると、公園の脇に加納宗七の銅像があります。彼は、紀州藩士で竜馬暗殺後、同藩の陸奥宗光が引き起こした天満屋事件にも参加しており、新撰組と乱闘しています。
三宮の南あたりは明治初期まで布引の滝から現在のフラワーロードを生田川が流れ、たびたび氾濫したため、西隣の外国人居留地の住民から苦情が絶えませんでした。そこで、一商人となっていた加納宗七は、その流れを新生田川に付け替えるという治水事業をわずか3ヶ月で完成させた上に、河道を幅18mの道路に、また両側を宅地造成して分譲し、現在の神戸市街地の礎(いしずえ)を築きました。銅像の横には陸奥の字で「加納宗七」と刻まれています。埋め立てられた旧生田川のあたりは、加納町と名付けられました。
加納町3丁目の交差点わきには彼の功績を称えた石碑が立っています。


「夢かもめ」の次の駅、旧居留地・大丸前駅で降りて、地上に出ると直ぐ傍に小さな三宮神社があります。1867年1月、備前岡山藩兵と外国人兵が衝突した「神戸事件」が発生した場所です。今でも神社の境内に当時の大砲が安置されています。
1868年1月、明石に宿泊していた岡山藩の家老日置氏の軍勢、約450名および大砲方を率いた一軍が11日午後2時頃、三宮神社前に差しかかったときに、備前藩兵の隊列をフランス水兵が横切ったことから紛争となり、一時は、外国軍隊が神戸の中心部を占拠するほどの大事件に発展しました。結局、明治新政府は、その隊列の隊長であった備前藩士の滝善三郎を切腹させて、ようやく解決しました。

三菱重工神戸造船所内に勝海舟設計の砲台が保存されています。大砲は1度も設置されたことがないようですが、重厚な石垣で作られた砲台が当時の姿のままで見ることが出来ます。ただし、民間企業の工場敷地内にあるので、見学の際には、事前に問い合わることお奨めします。
1863年、外国船に対する国防として兵庫と西宮に4つの砲台(和田岬、湊川崎、西宮、今津)が造られました。1864年9月にできた和田岬砲台は、直径約15m・高さ11mもあります。砲台を守るために星形の砦も造られ、建設費用は、現在の貨幣価値では、約25億円にもなりました。和田岬砲台が実際に使われることはありませんでしたが、大砲の試し打ちが行われたことが分かっています。



1823年 江戸本所、亀沢町に生まれた。父は旗本小普請組の勝小吉。海舟は号で、幼名は麟太郎、元服後は、義邦、後に安芳。(幼いころ、犬に睾丸を噛まれ危篤状態になるが、父が三日三晩抱きしめて看護し、九死に一生を得た。)
成長期 島田虎之助から剣を学び、永井青崖から蘭学を学んだ。
1851 蘭学塾を開く。58巻のオランダ語辞書を借りて、2組書写し、1組を30両で売り、生活費にした。薩摩藩主 島津斉彬の下で翻訳の代筆をする。
1853 ペリー来航に際して幕府に「海防意見書」を提出、貧乏旗本の息子だが、若い頃から目立つ存在ではあった。
1855 長崎に海軍伝習所が出来、ここでオランダ人教官から航海術と砲術を学ぶ。
1860 咸臨丸の艦長として、暴風雨に遭遇したにもかかわらず37日間かかって無事に米国に到着。この使節団の成功により、幕府内で強い発言力を持つようになり、軍艦奉行に任命される。
1862 坂本龍馬が彼を暗殺しに来るが、海外事情を説き、弟子にする。
1863 海岸防備強化のため、大坂湾に将軍家茂が視察にやって来た際に、海軍の必要性を直訴し、将軍の船が上陸した神戸村の小野浜に海軍操練所の建設の許可を得た。
1865 一部の塾生が、前年7月の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」に反幕府派として参加、海舟は幕府の嫌疑を受け、65年3月に海軍操練所は閉鎖され、軍艦奉行を罷免された。
1866 幕府が第二次長州征伐に失敗した際に、全権使者に任じられて、和睦を成立させた。
1867 大政奉還後、官軍の東海道東進となった際に、旧知の西郷隆盛と3日間の会談の末、江戸の無血開城をなしとげ、江戸が火の海になるのを救った。
明治以降 参議・海軍卿・枢密顧問官などの新政府の要職に就いたが、権力闘争から離れた立場にいて、悠々自適の日々を送った。享年76歳。



1835年 土佐国高知本丁(城下)に次男として生まれる。父は郷士の坂本直足(八平)。
通称:坂本龍馬、諱(いみな)は直陰、後に直柔(変名:才谷梅太郎)
1848 14歳の時、小栗流剣術指南日根野弁治に入門。
1853 目録を与えられ、同年江戸に出て北辰一刀流千葉貞吉に師事。
1858 北辰一刀流の免許を受け、剣士としてその名を知られた。
(在郷当時、絵師河田小竜から中浜万次郎の漂流談と海洋発展論を聞く)
1861 交流のあった尊攘派の武市瑞山による土佐勤王党結成に参画。
1862 脱藩し、諸国を放浪したのち江戸に出て勝海舟を訪い、海舟の新世界観に感激し、攘夷論を棄てて門下生として航海術を修行。
1863 海舟が神戸海軍操練所の設立と海軍塾を開く許可を得ると、神戸を拠点に尊攘過激派の朝廷と神戸海軍を結びつける構想を練ったが、同年8月の政変で挫折。
1864 神戸海軍操練所が正式発足したが、前年末に帰藩命令を拒否し、再び脱藩中という事情から参加できなかった。
1865 海舟が軍艦奉行を罷免されため、長崎で亀山社年中(のち海援隊)を結成。船を運用しての商業活動と並行し、討幕のために薩摩と長州を結びつける政治活動にも注力。
1866 京都で薩長同盟を結ばせ、木戸孝允に求められて協約内容の裏書きをした。同盟成立の直後、伏見の寺田屋で幕吏に襲われたが、危地を脱した。
1867 土佐藩との関係を修復し、4月に海援隊を創設。6月には長崎からの船中で大政奉還や公議政治など「船中八策」と呼ばれる八カ条の構想を練った。そして、山内容堂を動かし、土佐藩の大政奉還建白を引出し、それが10月の慶喜による大政奉還として実現した。11月15日、寄宿先の京都近江屋で見廻組に襲われ、享年33歳で死去。





@ 王政復古の2日前、1868年1月1日の開港によって兵庫は活気を取り戻し、急速に近代化していきます。
県庁や裁判所などが置かれ、居留地には多くの外国人が住むようになりました。

A 1894年に大桟橋が竣工、2年後の防波堤の完成で欧米に並ぶ規模となり、世界の豪華客船のターミナル港となりました。 明治維新時に2万人だった人口も1889年の市制施行時には13万人に増加。さらに市勢の発展と周辺市町村との合併で1941年には100万人都市へと発展しました。

B しかし、1938年の阪神大水害、さらには、長期にわたる太平洋戦争を経て、終戦時には人口が38万人と、約3分の1にまで減少しました。 しかし、1950年代後半の高度経済成長により復興のテンポは早まり、市勢も次第に回復していきました。

C 1981年に、ポートアイランドの完成を記念した「ポートピア’81」、1985年に「ユニバーシアード神戸大会」を開催。1993年には、市内全域を舞台に「アーバンリゾートフェア神戸’93」を開催しました。

D 1995年1月の阪神・淡路大震災により神戸港も甚大な被害に遭いましたが、わずか2年間で主な施設の復旧を終え、以後は、東アジアのマザーポートづくりを進めています。また、2006年2月には、神戸空港がオープンします。


1868年 兵庫港を開港
1892 勅命により「神戸港」となる
1923 国の重要港湾となる
1959 摩耶埠頭工事に着工
1963 神戸ポートタワーが竣工
1966 ポートアイランド造成工事に着工
1967 神戸開港100年祭記念式典、コンテナ船が初入港、摩耶埠頭工事が竣工
1970 ポートターミナル、神戸大橋が竣工
1972 六甲アイランド造成工事に着工
1975 六甲大橋架橋工事に着工
1978 須磨ヨットハーバーが竣工
1979 港湾幹線道路が開通、須磨ヨットハーバー(南ハーバー)が竣工
1980 六甲大橋の一部が開通
1981 ポートアイランド造成工事が竣工、(財)神戸港埠頭公社を設立
1983 メリケンパーク工事に着工
1984 海洋博物館の建設工事に着工
1985 神戸ハーバーランド整備事業に着手
1986 明石海峡大橋の起工式
1987 海洋博物館が開館、メリケンパーク工事が竣工、神戸開港120年記念式典
ポートアイランド第2期工事に着工
1989 神戸航空旅客ターミナル株式会社を設立
1992 神戸航空貨物ターミナル株式会社を設立、港島トンネル工事着工
神戸ハーバーランド整備事業が竣工
1993 港湾幹線道路〈ハーバーハイウェイ〉全線が開通
1994 阪神高速道路5号湾岸線〈六甲アイランド〜関空〉が開通
1995 阪神・淡路大震災が発生
1996 日本初の大水深高規格コンテナバース共用を開始
1997 大震災の復旧工事を完了、神戸開港130年記念式典
1998 明石海峡大橋が開通、六甲アイランド南事業に着工
1999 神戸港 港島トンネルが開通、空港島の埋立て工事に着工
2000 サンシャインワーフ神戸をオープン
2001 東部臨海部なぎさ公園をオープン
2002 リサイクルポートに指定される
2003 国際みなと経済特区に指定される
2006 神戸空港が2月にオープン予定








毎冬、12月上旬〜クリスマスにかけて、神戸ルミナリエが開催されます。
「ルミナリエ」というのは、イタリア語の“ルミナリア”の複数形で、小電球で作られたイルミネーションを意味します。
阪神・淡路大震災から11ヶ月後の1995年12月に初めて開催され、震災で打ちひしがれた神戸の街と市民に大きな感動と勇気、希望を与えました。閉幕直後から継続開催を求める強い要望が寄せられ、市民の希望を象徴する、神戸の冬の風物詩として定着するようになりました。今回は、早くも第11回目の神戸ルミナリエとなります。
光の彫刻作品、光のオブジェとしてその芸術性が毎年高く評価されています。2005年のテーマは、『光の第2章』です。イタリア語文“Inizia il secondo capitolo della Luce”(英語文“The Second Chapter of the Light Starts”)

開催期間: 2005年12月9日(金)〜12月22日(木)
点灯時間: 月〜木曜日 18:00頃〜21:30
金曜日 18:00頃〜22:00
土曜日 17:30頃〜22:30
日曜日 17:30頃〜22:00
  12月22日(木)18:00頃〜22:00(最終日)
ただし、荒天・混雑状況により点灯時間を変更する場合がございます。
開催場所: 神戸市中央区旧外国人居留地界隈および東遊園地
事務局: 神戸市中央区港島中町6-9-1 神戸国際交流会館7階
TEL 078-303-0038、FAX 078-302-2946
問合せ: 神戸ルミナリエ組織委員会事務局 TEL 078-303-0038

師走のひと時、歴史探訪とルミナリエ観光で、ぜひ神戸〜有馬にお越し下さい



Kobe Luminarie and Harbor Cruises
1) The Kobe Luminarie is held every winter from early December to Christmas. “Luminarie” is the plural form of Italian word “luminaria” that stands for Illumination with miniature bulbs. It began eleven months after the Kobe Earthquake in 1995 with the hope to give courage and greatly inspire the people of Kobe. Because there was a strong desire for continuation after its conclusion, it became an annual event symbolizing the hope of Kobe citizens.

2005 Theme “Inizia il secundo capitolo della Luce”
“The Second Chapter of the Light Starts”
Opening period: December 9th(Fri)to December 22nd (Thu)
Illumination Hours: 18:00 to 21:30 (Monday to Thursday)
18:00 to 22:00 (Friday)
17:30 to 22:30 (Saturday)
17:30 to 22:00 (Sunday)
18:00 to 22:00 (Dec 22nd: Final day)
Subject to change due to bad weather or congestion,
Place: South of Hanshin Railway between Sannomiya and Motomachi

2) Kobe Harbor Cruises offer spectacular views of Kobe with its towering mountain range of Mt. Rokko overlooking the Seto Inland Sea and extending along the coast like a folding screen. A variety of cruises are available from Kobe Harbor ranging in length from 30 minutes to more than 2 hours. Those taking the evening cruise will be quite impressed with the fantastic view of several brilliant gigantic Christmas trees standing in the central town area of Kobe.

“Luminous Kobe-2” 4778-ton class for 1000 people
Hours of operation 12:00-21:20 3 cruises/day 90-140 min/cruise
Fare 3150 yen/adult 1580 yen/child *Additional charge required for meals
Terminal Meriken Park Oriental Hotel (2F lobby)
TEL 078‐333‐8414 Luminas Kanko

“Concerto” 2138-ton class for 604 people
Hours of operation 12:00-21:05 4 cruises/day 90-105min/cruise
Fare 1800 yen/adult 900 yen/child
Terminal Takahama Quay in front of Mosaic
TEL 078‐360‐5600 Kobe Cruiser

Akashi Channel Bridge Ocean Cruise “Sea Grace” 190-ton class for 200 people
Hours of operation 12:45-19:00 4-7 cruises/day 50 min/cruise
Fare 1000 yen/adult 500 yen/child
Terminal Naka Pier Central Terminal (Kamomeria)
TEL 078‐360‐0731 Kobe Sea Bus

“Port of Kobe” 145-ton class for 300 people
Hours of operation 10:45-18:05 7 cruises/day 50 min/cruise
Fare 900/adult 450/child
Terminal Naka Pier Central Terminal (Kamomeria)
TEL 078‐360‐0039 Kobe Bay Cruise





有馬ナビをいつもご覧いただきまして誠にありがとうございます。新年号以降も、有馬とその周辺の観光スポットについていろんなテーマを取り上げ、ご紹介してまいります。来年も本年と同様に宜しくお願いいたします。
(2005.12.5)

※このページは2005年12月に発行されたものです。
最新の有馬温泉と周辺観光地の情報は『龍泉閣日記』をご覧ください。



兵庫のホテル・旅館案内  

注)営業時間や料金などの情報は、発行された時点のものです。
詳しい情報は各施設にお問い合わせください。リンク、もしくはTEL番号をご参照ください。