有馬温泉(ありまおんせん)は、日本で古くからの歴史がある温泉のひとつとして名前が挙げられています。
江戸時代の儒学者・林羅山は「三名泉」(有馬・草津・下呂)と評し、日本書記・風土記には「三古泉」(有馬・道後・白浜)、『枕草子』に「三名泉」(有馬・榊原・玉造)と記されます。また、「三大薬泉」(有馬・草津・松之山)としても知られています。
有馬温泉のお湯は環境省が療養泉として指定をしている単純性温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、硫黄泉、放射能泉の7つの主成分が含まれており、世界的にも珍しい多くの成分が混合した温泉です。
一般的には有馬温泉は金泉と銀泉があり、空気に触れて色が変わる温泉は「金泉」と呼ばれ、有馬温泉の金泉は鉄分、塩分を多く含む赤茶色の温泉です。それ以外の透明な温泉を「銀泉」と呼び、有馬温泉では、炭酸泉、ラドン泉などになります。

有馬温泉で湧き出るお湯は、温泉地特有の火山活動による湧出ではなく、火山活動がない場所に湧く温泉として他の温泉に比べ特異性があるとされています。
有馬温泉の「金泉」といわれる、高温・高成分の温泉源は多くの地球科学者により「マントル」の成分を含んでいると指摘されています。
フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む時に海水が取り込まれ、鉱物に取り込まれて存在していた海水がマントルの熱で水蒸気となり、有馬の温泉となって地表に出てくるまでには600万年以上の時間がかかっています。
30万年前には、金泉は当時の海岸で噴出していたように推定されています。

龍泉閣 龍泉閣
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明智光秀、柴田勝家、織田信孝とライバルを次々と打ち破って天下統一の目途がついた1583年に、秀吉は始めて有馬温泉を訪れ、長らく続いた戦で疲れた心身を有馬の名湯で癒しました。これが記録に残る最初の秀吉の有馬入湯で、その後も再三有馬を訪れて、有馬温泉の復興に対してさまざまな援助を行いました。
秀吉の事蹟で特筆すべきことは、1597年に始まった大規模な泉源の改修工事です。前年に近畿一円を襲った慶長伏見大地震によって有馬の建物も甚大な被害を蒙りましたが、それ以上の問題は、この地震の直後から温泉の温度が急上昇し熱湯となってしまったことでした。有馬温泉の湯治効果を熟知していた秀吉は、根本的な改修工事に着手しました。
改修工事が完成した1598年5月に入湯の予定でしたが、激しい風雨のため中止となり、その後まもなく床に伏し同年の818日に没したため、秀吉はついにその成果を見ることができませんでした。しかし、秀吉の大改修がその後の有馬の繁栄に大いに寄与したと言え、秀吉は有馬温泉の大恩人として今でも慕われています。

龍泉閣

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